2. Löwdin解析
Löwdin解析 は、電子状態計算で得られた電子を原子ごとに割り当て、原子の電子数やスピンの分布を評価する方法の一つである。原子に中心を置いた基底関数は一般に互いに重なっているため、重なりの部分にある電子をどの原子に数えるかには任意性がある。Löwdin解析では、元の基底をできるだけ変えないように直交化した基底に密度行列を書き直し、その対角成分で電子を数える [Lowdin1950]。このように電子を原子や基底関数に割り当てる解析を ポピュレーション解析(population analysis)と総称する。
前提知識: 基底関数による軌道の展開(LCAO)、対称行列の固有値分解、スピン制限計算とスピン非制限計算 の密度行列。
学習目標:
非直交基底での電子数が \(\mathrm{Tr}(DS)\) で与えられることを導く。
対称直交化 \(S^{-1/2}\) の定義と性質を説明する。
Löwdin密度行列 \(S^{1/2}DS^{1/2}\) を導き、Mulliken解析との違いを説明する。
原子ごとの電子数と原子スピン密度を評価し、その解釈の限界を理解する。
2.1. 非直交基底での電子数
基底関数を \(\chi_\mu\)(\(\mu=1,\ldots,K\))、重なり行列を \(S_{\mu\nu}=\langle\chi_\mu|\chi_\nu\rangle\) とする。以下では基底関数と展開係数を実数とする。分子軌道を
と展開し、軌道 \(i\) の占有数を \(n_i\) とすると、電子密度は
と書ける。\(D\) を基底関数表示の 密度行列 と呼ぶ。スピンごとに \(D^\alpha\)、\(D^\beta\) を定義すれば、スピン和は \(D=D^\alpha+D^\beta\) である。全空間で積分すると、電子数は
となる。基底が直交していれば \(S=I\) で、\(N\) は \(D\) の対角成分の和になる。非直交基底では、\(\mu\ne\nu\) の項 \(D_{\mu\nu}S_{\nu\mu}\) が 2つの基底関数の重なり部分にある電子を表し、これを原子に分ける方法が一意に決まらない。
Mulliken解析 [Mulliken1955] は、(2.5) の対角和を基底関数ごとに分け、
とする。これは重なりの電子 \(2D_{\mu\nu}S_{\nu\mu}\) を2つの基底関数に半分ずつ割り当てることに相当する。計算は簡単だが、\((DS)_{\mu\mu}\) は負になったり、 1軌道に入りうる電子数2を超えたりすることがあり、広がった基底関数を加えると値が大きく変わる。
2.2. 対称直交化
\(S\) は実対称な正定値行列なので、直交行列 \(U\) と正の固有値の対角行列 \(s\) を使って \(S=UsU^{\mathsf T}\) と分解でき、その平方根と逆平方根を
で定義できる。これを使って新しい基底
を作ると、
なので \(\{\lambda_\nu\}\) は正規直交系になる。これを 対称直交化(Löwdin直交化)という。
直交化の方法はGram–Schmidt法など他にもあるが、Gram–Schmidt法の結果は基底関数を並べる順序に依存する。対称直交化はすべての基底関数を対等に扱い、しかもすべての正規直交系の中で \(\sum_\mu\|\lambda_\mu-\chi_\mu\|^2\) を最小にする [CK1957]。つまり \(\lambda_\mu\) は、元の \(\chi_\mu\) に最も近い直交化された関数であり、\(\chi_\mu\) と同じ原子に属すると見なすことが比較的自然である。
2.3. Löwdin密度行列と原子の電子数
(2.6) を逆に解くと \(\chi_\mu=\sum_\nu\lambda_\nu(S^{1/2})_{\nu\mu}\) なので、分子軌道は
と書き直せる。直交化した基底での密度行列は
となる(\(n\) は占有数を並べた対角行列)。この基底は直交しているので、電子数は対角成分の和で与えられ、実際に
が成り立つ。Löwdin解析では、原子 \(A\) に属する元の基底関数に対応する対角成分を合計し、
をその原子に割り当てられる電子数とする。
閉殻の単一行列式では、Löwdin電子数が物理的に妥当な範囲に収まることが保証される。分子軌道の正規直交性 \(C^{\mathsf T}SC=I\) は \(C^{\mathrm L\mathsf T}C^{\mathrm L}=I\) と同じなので、\(Q=P^{\mathrm L}/2\) は占有軌道の空間への直交射影である。射影の対角成分は \(Q_{\mu\mu}=\|Qe_\mu\|^2\le1\) を満たすから、
となる。スピン非制限の場合は、スピンごとに \(P^{\mathrm L\sigma}=S^{1/2}D^\sigma S^{1/2}\) を作れば \(0\le P^{\mathrm L\sigma}_{\mu\mu}\le1\) が成り立つ。Mulliken電子数にはこのような保証がない。
2.4. 原子スピン密度
スピンごとのLöwdin密度行列から、原子 \(A\) の 原子スピン密度 (spin population)を
と定義する。これは原子 \(A\) に割り当てたα電子数とβ電子数の差であり、スピン密度 \(\rho_{\mathrm s}(\boldsymbol r)\) を原子ごとに分けた量に当たる。全原子の和は \(\sum_Am_A=N_\alpha-N_\beta\) になる。上の不等式から、1原子1基底関数の場合は \(|m_A|\le1\) である。スピン制限の閉殻計算では \(D^\alpha=D^\beta\) なので、すべての原子で \(m_A=0\) となる。
2.5. 簡単な例:最小基底の水素分子
2つの水素原子に1s基底関数 \(\chi_1\)、\(\chi_2\) を1つずつ置き、重なりを \(s\) とする。基底状態では結合性軌道 \(\sigma_g=(\chi_1+\chi_2)/\sqrt{2(1+s)}\) に電子が2個入るので、
である。\(DS\) の対角成分はどちらも1なので、Mulliken電子数は各原子1になる。一方、\(S\) の固有ベクトルは \((1,1)/\sqrt2\) と \((1,-1)/\sqrt2\)、固有値は \(1+s\) と \(1-s\) なので、\(S^{1/2}\) は \((1,1)\) 方向に \(\sqrt{1+s}\) を掛ける。したがって
となり、Löwdin電子数も各原子1である。等価な2原子では、どちらの方法でも対称性から電子が半分ずつ分けられる。2つの方法の違いが現れるのは、原子が等価でない場合や、基底関数の広がりが原子ごとに大きく異なる場合である。
\(P^{\mathrm L}\) の非対角成分 \(P^{\mathrm L}_{12}=1\) は、直交化した基底で見た 2原子間の電子の共有の程度を表し、結合次数 の指標として使われる。
2.6. 説明用の事例:水素原子鎖
水素原子を並べると電子バンドは生まれるのかでは、STO-3G基底(水素1原子あたり1個の基底関数)で計算した有限水素原子鎖(原子間隔1.8 Å、Psi4 1.10)にLöwdin解析を用いている。スピン制限計算では、各原子のLöwdin電子数はほぼ1で、例えば \(N=16\) のRHFでは鎖の端の原子でも 0.994程度である。
スピン非制限計算では、\(N=32\) の鎖の中央で原子スピン密度 (2.9) が UHFで \(\pm0.895\)、UKS-PBEで \(\pm0.614\) と原子ごとに符号を変える。 1原子1基底関数での上限 \(|m_A|\le1\) と比べると、UHFではα電子とβ電子が 1つおきの原子にほぼ完全に分かれていることがわかる。全原子の和は \(N_\alpha=N_\beta\) を反映して0になる。
2.7. 解釈と限界
電子を原子に分配する方法は一意ではなく、Löwdin電子数は観測量ではない。値は基底関数の選び方に依存し、特に広がった基底関数を含む基底では、ある原子の基底関数が別の原子の周りの電子を表すようになるため、原子への割り当ての意味が薄れる。Mulliken解析、 Löwdin解析のほかに、電子密度の空間分割に基づくBader解析やHirshfeld解析、自然軌道に基づく自然ポピュレーション解析(NPA)なども用いられる。
したがって、Löwdin電子数や原子スピン密度は、同じ手法・同じ基底で得た結果を比較し、電子状態の傾向を読み取るための指標として扱う。
2.8. 関連項目
2.9. 参考資料
密度行列とポピュレーション解析の教科書的な説明は [Szabo1996] の3章にある。
P.-O. Löwdin, “On the Non-Orthogonality Problem Connected with the Use of Atomic Wave Functions in the Theory of Molecules and Crystals,” Journal of Chemical Physics 18, 365–375 (1950), doi:10.1063/1.1747632.
R. S. Mulliken, “Electronic Population Analysis on LCAO–MO Molecular Wave Functions. I,” Journal of Chemical Physics 23, 1833–1840 (1955), doi:10.1063/1.1740588.
B. C. Carlson and J. M. Keller, “Orthogonalization Procedures and the Localization of Wannier Functions,” Physical Review 105, 102–103 (1957), doi:10.1103/PhysRev.105.102.