3. 結合次数
結合次数 は、原子間の化学結合の程度を表す指標である。化学結合の基本的な分類では、単結合、二重結合、三重結合にそれぞれ1、2、3を対応させる。電子状態計算から評価した結合次数は整数とは限らず、その定義も複数ある。本稿では、分子軌道の電子数による定義から出発し、密度行列の非対角要素による定義(Coulson結合次数)とそのエネルギー上の意味、Wiberg・Mayerの結合指数との関係を式で追う。
前提知識: タイト・バインディング近似、 Löwdin解析 の密度行列。
学習目標:
結合性・反結合性軌道の電子数から結合次数を求める。
密度行列の非対角要素が結合次数になることを、二原子分子で確かめる。
結合次数がホッピングに対するエネルギーの微分であることを導く。
一様な半充填鎖の結合次数 \(2/\pi\) と、有限鎖の端による交替を導く。
Wiberg・Mayer結合指数との関係と、指標の限界を説明する。
3.1. 分子軌道の電子数による定義
二原子分子では、2つの原子軌道から結合性軌道と反結合性軌道ができる。それぞれに入る電子数を \(N_{\mathrm{bonding}}\)、\(N_{\mathrm{antibonding}}\) とすると、
を結合次数とする。電子対1組が1本の結合に対応するように2で割っている。例えば水素分子の基底状態では、結合性軌道に電子が2個入り、反結合性軌道は空なので \(b=1\) である。He2では両方に2個ずつ入るので \(b=0\) となり、安定な結合をつくらないことと対応する。
この定義は、軌道を結合性・反結合性に分類できる簡単な分子でしか使えない。多原子系に一般化するには、軌道の分類ではなく、原子間の密度行列要素を使う。
3.2. 密度行列による定義(Coulson結合次数)
各原子に1つずつ直交した軌道 \(|r\rangle\) を置き、分子軌道を \(\psi_i=\sum_r c_{ri}|r\rangle\)(係数は実数)と展開する。Coulsonは π電子系に対して、原子 \(r\) と \(s\) の間の結合次数を
と定義した [Coulson1939]。ここで \(n_i\) は軌道 \(i\) の占有数である。これは直交基底での密度行列の非対角要素 \(P_{rs}\) そのものである。
二原子分子でこの定義が (3.1) と一致することを確かめる。結合性軌道と反結合性軌道の係数は \((1,1)/\sqrt2\) と \((1,-1)/\sqrt2\) なので、
となる。結合性軌道の電子は \(p_{rs}\) を増やし、反結合性軌道の電子は減らす。 (3.2) は、この寄与をすべての占有軌道について足し合わせたものである。
基底関数が直交していない第一原理計算では、Löwdin直交化 した密度行列 \(P^{\mathrm L}=S^{1/2}DS^{1/2}\) の非対角要素を使うのが一つの方法である。 1原子1基底関数の場合、隣接原子 \(i\)、\(i+1\) の間の量
はCoulson結合次数を非直交基底に拡張したものと見なせる。\(B_i\) の符号は基底関数の位相の取り方に依存するので、比較するときは位相を揃えておく。
3.3. エネルギーとの関係
Coulson結合次数には、エネルギー上の明確な意味がある。電子間相互作用を含まないタイト・バインディング模型で、ハミルトニアンの行列要素を \(h_{rs}\) とすると、全エネルギーは
と密度行列で書ける。1次元鎖でオンサイトエネルギーを \(\varepsilon_0\)、 \(i\) 番目の結合のホッピングを \(h_{i,i+1}=-t_i\) とすると、 \(P_{rs}=P_{sr}\) より
となる。占有数を固定してホッピング \(t_i\) を少し変えるとき、 Hellmann–Feynmanの定理により固有ベクトルの変化はエネルギーの1次の変化に寄与しない。したがって
である。結合次数が大きい結合ほど、ホッピングを強めたときにエネルギーが大きく下がる。この意味で、\(B_i\) は各結合が全エネルギーに寄与する重みを表す。
3.4. 一様な鎖の結合次数
すべてのホッピングが等しい最近接タイト・バインディング鎖を半充填にした場合の結合次数を求める。周期鎖の固有状態は \(c_n(k)=e^{ikna}/\sqrt N\) であり、占有されるのは \(|k|<\pi/(2a)\) の状態である。(3.2) の和を積分に置き換え、\(\theta=ka\) とおくと、
となる。先頭の2はスピンの縮重度である。隣接原子間(\(m=1\))では
を得る。\(B\) は1より小さい。1原子1電子の鎖では、各原子の電子が左右の両隣と結合を分け合い、さらに遠い原子との相関(\(m=3,5,\ldots\))にも分配されるためである。偶数の \(m\ne0\) では \(P_{n,n+m}=0\) となる。この値は \(t\) によらない。一様な鎖の固有ベクトルは \(t\) の大きさに依存しないからである。
両端が開いた有限鎖では、タイト・バインディング近似 で求めた固有ベクトル \(\phi_j(i)=\sqrt{2/(N+1)}\sin\bigl(ij\pi/(N+1)\bigr)\) を使って
を計算する。ホッピングが一様でも端の影響で \(B_i\) は1本おきに強弱を繰り返し、その振幅は鎖の中央に向かって小さくなる。鎖の中央での交替の振幅は \(N=16,32,64\) でそれぞれ約0.065、0.031、0.016であり、おおむね \(1/N\) で減少して、\(N\to\infty\) では一様な値 (3.5) に近づく。
3.5. 価数の和則
閉殻の単一行列式では、直交基底での密度行列が \(P^2=2P\) を満たす(Löwdin解析 で見たように \(P/2\) は射影である)。その \((r,r)\) 成分を取ると
となる。1原子1軌道で \(P_{rr}=1\) のとき、
を得る。各原子が他の原子と結合に使える総量は一定であり、それが相手の原子に分配されることを表す。水素分子では \(P_{12}^2=1\) で1本の単結合になる。一様な無限鎖では、最近接の2本で \(2(2/\pi)^2\approx0.81\)、残りは遠い原子との \(m=3,5,\ldots\) の項が担い、\(\sum_{m\,\mathrm{odd}}8/(m\pi)^2=1\) で和則が満たされる。
3.6. Wiberg結合指数とMayer結合次数
直交基底での密度行列を使い、原子 \(A\) と \(B\) の間の結合指数を
と定義したものが Wiberg結合指数 である [Wiberg1968]。1原子1軌道では \(W_{i,i+1}=B_i^2\) となる。2乗しているので位相の取り方に依存せず、1原子に複数の基底関数がある場合も原子の組ごとにまとめられる。(3.7) は、 Wiberg指数の和が原子の価数になるという関係の特別な場合である。
Mayerは、非直交基底のまま使える形として、閉殻では
を提案した [Mayer1983]。直交基底(\(S=I\))ではWiberg指数に一致する。スピン分極した系では、スピンごとの密度行列を使った
が使われ、閉殻(\(D^\alpha=D^\beta=D/2\))では上の式に戻る。
(3.3) の \(B_i\) のような密度行列要素そのものと、それを2乗した Wiberg・Mayer型の指数は、同じ結合に対しても値が異なる。どの定義を使ったかを明記し、同じ定義・同じ計算条件の中で比較する。
3.7. 説明用の事例:水素原子鎖
水素原子を並べると電子バンドは生まれるのかでは、STO-3G基底(水素1原子あたり1個の基底関数)で計算した有限水素原子鎖(原子間隔1.8 Å、Psi4 1.10)について、(3.3) の \(B_i\) を鎖に沿って比べている。次の表は、例題の再現用データから、鎖の中央の隣り合う2本の結合の値と、中央8本の結合を1本おきの2組に分けたときの平均値の差の半分(交替振幅)をまとめたものである。比較のため、同じ定義で (3.6) から求めた一様な最近接タイト・バインディング(TB)模型の値も示す。
\(N\) |
一様TB模型 |
RKS-PBE |
RHF |
|---|---|---|---|
16 |
0.697 / 0.579(0.065) |
0.696 / 0.581(0.063) |
0.865 / 0.375(0.247) |
32 |
0.667 / 0.607(0.031) |
0.666 / 0.608(0.030) |
0.862 / 0.378(0.242) |
64 |
0.652 / 0.621(0.016) |
0.651 / 0.622(0.015) |
0.862 / 0.378(0.242) |
RKS-PBEの値は、パラメータを含まない一様TB模型の値と小数点以下2〜3桁まで一致し、中央8本の平均は0.637で (3.5) の \(2/\pi\) に等しい。したがって、 RKS-PBEで見える交替は有限鎖の端による効果として理解でき、\(N\) とともに小さくなる。一方、RHFの交替振幅は \(N\) を増やしてもほとんど変わらず、端の効果では説明できない結合の強弱、すなわち結合次数波(BOW)が鎖の中央に残っている(ホッピングが交替する鎖(SSH模型) を参照)。
スピン非制限計算(\(N=32\))では、スピン和の密度行列から求めた \(B_i\) はほぼ一様になり、UHFで0.312、UKS-PBEで0.531と、スピン制限計算の平均値より小さい。 α電子とβ電子が1つおきの原子に分かれて局在すると、隣接原子間で同じスピンの電子を共有する程度が下がり、スピン和の密度行列の非対角要素も小さくなる。
3.8. 解釈と限界
結合次数は観測量ではなく、定義と基底関数に依存する指標である。結合エネルギーや結合の長さとは異なる量であり、相関はあっても一対一には対応しない。 (3.4) のようなエネルギーとの関係は、電子間相互作用のない模型で成り立つものであり、自己無撞着な平均場計算や相関のある計算では、そのままの形では成り立たない。
非直交基底での結合次数は、直交化や分割の方法によって値が変わる。1原子に多くの基底関数がある場合や、広がった基底関数を使う場合は特に注意する。
3.9. 関連項目
3.10. 参考資料
C. A. Coulson, “The electronic structure of some polyenes and aromatic molecules. VII. Bonds of fractional order by the molecular orbital method,” Proceedings of the Royal Society of London A 169, 413–428 (1939), doi:10.1098/rspa.1939.0006.
K. B. Wiberg, “Application of the Pople-Santry-Segal CNDO method to the cyclopropylcarbinyl and cyclobutyl cation and to bicyclobutane,” Tetrahedron 24, 1083–1096 (1968), doi:10.1016/0040-4020(68)88057-3.
I. Mayer, “Charge, bond order and valence in the ab initio SCF theory,” Chemical Physics Letters 97, 270–274 (1983), doi:10.1016/0009-2614(83)80005-0.